AIと、IoTと、「2001年宇宙の旅」

2017年春、日光東照宮と姫路城で、AI(人工知能)PONANZA vs. 佐藤天彦名人の将棋対決「電王戦」が行われ、いずれの対局もAIが勝利を収めたのは記憶に新しいところです(世間は、その後、藤井四段の連勝記録ばかりで盛り上がりました)。

AIと言えば、以前は、あらかじめ人間が処理のルールやアルゴリズムを与えなければ、自らは、処理や判断ができないものでした。
所詮、人間の思考の一部を、膨大な処理能力を取り柄に、賢く代行しているに過ぎなかったと言えます。

ところが、現在、世間で改めて話題となっているAIは、以前のAIとは全く次元が異なります。

現在のAIの超高性能ハードウェアに、ビッグデータ(教師データ)をぶち込み処理をさせると、AIは、パターン認識やディープラーニング(深層学習)等の新手法を駆使して、その膨大なデータの中から、自ら、「相関性」を見出すとともに(この時も、力づくで逐次処理するのでなく、彼なりの「当たり」をつけるらしいです)、彼にとってのベストソリューションを提示することができます。

すなわち、現在のAIは、自分でルールを発見して、判断を下すことができるレベルに来ているのです。

もちろん、今でもなお、自ら意思を持ったり、自発的に何かをすることはないようですが、そういった能力まで手にいれる日も遠くない気がします。

私は、AIのこの凄まじい進歩を目の当たりにすると、どうしても、1968年米国公開の映画、「2001年宇宙の旅」(スタンリーキューブリック監督/原題:A Space Odyssey)を思い出してしまいます。

映画では、木星探査の途上にあった宇宙船ディスカバリー号に搭載された、史上最高の人工知能HALが、この探査計画に疑問を抱き出したボーマン船長たちの動向を察知し、故障している振りをした後、自ら制御できる装置の機能を駆使して、船長以外の乗組員の殺害を決行してしまいます。

最後には生き残った船長に、HALは思考部を停止させられ、物語自体も別次元の展開へ突入していきますが、この映画を初めて見た際には、背筋に冷たいものが走ったのを鮮明に覚えています。

乗組員の殺害が、HAL自身の自発的な意思によるものか、それも含めて事前にプログラムされていたのか、未だに私には確信がありませんが、映画で描かれたHALと人間たちの攻防を見ていると、それらがとても事前にプログラムされたものとは思えず、最終ミッションだけを与えられたHALが、最も理に叶った効率的な手段として、彼らの殺害を選択したと思えてなりません。

これを現在のAIに当てはめて考えると、世界のあらゆるモノがIoTでネット経由で繋がったときに、もし、HALのようなAIが登場してしまったら、一体どうなってしまうのだろう、と考えてしまいます。

たとえ、AIに与えられた最終ミッションが、「人類の平和と幸福」だったとしても、AIがそれを実現する最も効率的な手段として、人類自体を消滅させてしまう手段を選択しないとは、誰が保証できるのでしょうか(人類の歴史のビッグデータを、そう相関づけるかも知れません)。

AIが、かかる「ミッション」を達成するために、IoTで繋がったモノをネット経由で操って、人間の生命に深刻な影響を与えることも、重機を発動して攻撃させることも、さらには、ネットの向こうの厳重なセキュリテイをかいくぐって、自ら、核のボタンを押してしまうことも、決して難しいことではないでしょう。

もちろん、これは私の浅薄な知識にもとづく危惧にすぎませんが、人類は「驚異のAI」とともに、「脅威のAI」を同時に手に入れようとしているのかも知れません。




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