バブルのトラウマ

バブルの最盛期、私はとある企業の東京は港区にある本社で働いていました。

六本木にも歩いて行ける距離で、職場には(私の隣にも)、5時になったらその足でディスコに繰り出すワンレンボディコンギャルが少なからず居ました。

彼女らは、見た目派手なのに、実は高学歴で家柄も良く(コネ入社も多かった)、責任感持って仕事もこなすし周りへの心配りまでできてしまう、コミュニケーション能力抜群の魅力的な女性たちでした。

ちょうど隣は証券会社の支店で、昼休みには、玄関ホールに近隣のサラリーマンが大勢集まって、ダイナミックに動く株価ボードを眺めながら、銘柄談義に花を咲かせていました。

今から思えば、実に異様な風景でした。

職場でも、持っている株が1日でこんなに上がったとか、昔こんな価格で買ったボロ家がこんな高値で売れたとか、給料がまだまだ上がっていない30歳前後の同僚社員ですら、こぞってマンション購入に乗り出していました。

そういう話題の輪の中で、ご多聞に漏れず、私も結局、隣県の都心近くに2DKのマンションを、わずかな頭金とどえらいローンを組んで、購入する運びとなりました。

今から思えば、それが人生の大きな岐路かつ転機になりました。

直後、バブルは弾けだし、それからはマンション価格は低下の一途を辿りました。

私は、結婚と転勤でその物件を出て行くことになり、その後は、遠方から、現地の不動産業者に売却依頼を出しながら、他方、変動金利で今では考えられない利率(9%台!)のローンを返済し続けていましたが、ほぼ自転車操業で、たまに金策に困り、職場に催促の電話が来たりする場面までありました。

今でも笑って話せない、本当に不自由でしんどい時期でした。

結局、転出から約2年後、値下げを繰り返して、マンションは何とか売却できましたが、その間の住宅ローン支払いと相まって、かなりの損失を抱えてしまうことになりました。

振り返ると、返済の数年間、元金は全く減っておらず、利息分の一部を返済できただけでした。

今から思えば、お金に対して「情弱」の極みでした。

ゆとり返済終了前に売却できたのでまだ何とかなりましたが、危うく住宅ローンで自己破産の仲間入りをするところでした。

しかし一方で、この間に、いつの間にか徹底的な節約の体質が身についていました。

あれから20年以上たった今でも、その時のお金に対する姿勢や考えが、身に染みていて揺らぐことはなく、すっかり、贅沢な買物や体験には反射的に二の足を踏んでしまう貧乏性の体質となりました(当時それくらい苦しかったのです)。

そしてその後、節約以外に貯蓄運用にも精を出し、いくばくかのお金を貯めてからは、縁あって一戸建てを購入することになりましたが、その際も、高価な新築には全く興味はなかったので(新築の感動は数日しか持たないのを体験済みです)、郊外だけど通勤と子育てには適したロケーションにある破格の中古を、現金一括で購入しました。

あのとき私を苦しめた住宅ローンは、2度と組みたくなかったのです。

「トラウマ」と言えば悪い意味にだけ聞こえますが、今の私のお金に対する合理的かつ筋肉質な考え方と実践は、このバブル後の負債返済期のマイナス資産から、プラス資産に変えていった資産形成期までに、心底、徹底的に培われたました。

それによって、少なくとも人生後半では、自分からはお金でしくじらないというメリットだけはもたらしてくれました。

あっ、たまに株の銘柄選定でしくじっていた(紙切れになった)ことを忘れていました。




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