フリーランスのメンタリティー

仕事あってのフリーランス

フリーランスは職業というよりも、仕事がある状態の個人事業主という感が強いです。

今後の仕事の予定がみっちり入っているときは、自分は雇われでなくても、己のスキルで生きていけているという、優越感にすら浸れます。

しかし、一旦仕事がなくなると、たとえフリーランスと名乗ったとしても、客観的・実態的には単なる失業者に過ぎません。

もちろん、仕事がないときにこそ、腰を据えてやれる雑事もあります。

依頼案件のドキュメント整理や、データベースのメンテナンス、そして経理処理も、全部自分でこなさなければならない、フリーランスならではの大切な一側面です。

フリーランスのメンタル

しかし、直近の納品を終えてからのインターバルが一定期間を経過したままだと、メンタル的にはいきなり「不安定モード」に突入します。

「あのクライアントに切られた」、「自分にはもうこのまま依頼は来ないのでは」などといきなり弱気になり、社会的にもドロップアウトしてしまったのでは、と自分を一人の失業者または落伍者と見做すのに、そう時間はかかりません。

じっと待つだけでは辛いので、クライアントの担当者に、暇と悟られないような文面でお伺いのメールを出したり、新たなトライアル先を探してみたりして、とにかく、局面を打開しようとすることになります。

実際には、そのようなアクションを本気で起こそうとしたとたんに、不思議にも、次の依頼が舞い込んだりします。

「暇」をどう捉えるのか

しかし最近、私は、「そんな時どうするのか」の選択においてこそ、フリーランスたることの価値が問われると感じるに至りました。

そんなインターバルを、神(?)が与えてくれた「フリーランスならではの、自由を満喫できるチャンス」と捉えるのか、それとも、サラリーマン時代にはあり得なかった、でも実は非常に恐れていた「無為で無収入の何の意味もなさない全く無駄な時間」と捉えるのか、のどちらの考え方に立てるのか、ということです。

それによって、「自分がどうして早期退職してフリーランスになったのか」の意味を、自身に再確認することになります。

もし、そのインターバルに対して、お金も何も価値も産まない非生産的な時間としか思えないのであれば、時間を切り売りして給料に換えていたサラリーマン時代の様相と、根っこの部分では何も変わらないことになります。

早期退職時には、会社勤めとは違う何らかの「価値」を見出したいからしたいと思ったはずです。

であるなら、サラリーマン時代にはまず得られなかった、平日昼間の自由な時間の連続に、自分ならではの価値を「自ら」創り出せないようであれば、そもそもサラリーマンからフリーランスになった値打ちは半減してしまいます。

フリーランスなのにフリーでない?

たとえお金の心配を完全に払拭できないとしても、その貴重な空き時間には、ボランティアに参加したり、一人旅に出たり、全く新たなチャレンジを始めたり、あるいは、全然異種の世界に身を置いたり、発想を自由に広げさえすれば、実は何でもできるはずなのです。

クライアントからの受注前提の立場が不安定な生活としか思えないなら、自分自身で仕事を生み出す仕組みを考えなければなりません。
スキルをもとに、セミナーを企画したり、ノウハウ本を書いたりするのも、一案でしょう。

それでも安定が欲しいなら、サラリーマン時代に戻った方がよっぽどマシですが、それでは元の木阿弥で、そもそも何のためにフリーランスを選択したのか意味不明です。

そういう「自由」を得たかったはずなのに、いつの間にか、サラリーマン時代のように予定調和な日常を繰り返そうとする姿勢がデフォルトになってしまい、実態は、「不自由な」フリーランスになり下がっているとすれば、非常に残念なことですし、本来、自分はフリーランスに向いていなかっのだたと、今さらながら、自覚しない訳にはいきません。

折角、フリーランスになったのだから、たとえ仕事を受注できない時間であっても、常に、主体的に、サラリーマン時代には得られなかった自由(フリー)を希求し続けたいものです。




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